ある政治家が武士道は平時のときのものと言っていた。

ある政治家が武士道は、平時のときのものと言っていた。

国家の品格の中の武士道は、卑怯なことを、しないのが武士道と説く。

しかし、ある政治家は、武士道なんて、きれい事だと言うのだ。

たとえば、いざどこかの国から攻められたら、武士道など、

非常時には、通用しないといっているのだ。

そして、権謀術数渦巻く戦国時代には、武士道は通用しないと。

他国、たとえば、北朝鮮に、言うことをきかす事が実体としてできるのか。

だから、アメリカの核の傘のなかいるか。若しくは、日本自体が核武装をしなければ

ならないのか?

ネビルシュートの小説「渚にて」を思い出させる。

第三次世界大戦が起こり、北半球で核を撃ち合う、たまたま、南半球のオーストラリア

に停泊していたアメリカの潜水艦は、無事であった、そこで、

どんな状況になっているかアメリカ本土を見に出かける

見たものは、悲惨なものであった。

また、放射能は、ヒタヒタと南半球のオーストラリアにも迫ってくる。

結局は、人類は滅亡してしまう小説だ。

確か、リメイク版で「the end ofthe world」という映画もあった


いったい政治家は、核を撃ち合った後のことは、考えているのか?

よく、浜幸が、攻められたとき如何するんですか?

と野党議員に食って掛かるが、核を撃ち合った後は、どうなるんですか

浜幸さんに聞きたい。
今そこにある危機は、

実は、市場経済原理のグローバル化による

65億人の爆発的消費による地球環境の悪化です。

しかし、企業は、中国、インド等にその爆発的消費を期待し、

しのぎを削っている。これは、核の撃ち合いとは違い

凄くプラス面と捉えられている。実は凄いマイナス面なのに

景気が良いこと(大量消費)、これがマイナス面なんて誰も考えなかった。

何が危機なのかよく考えることが、人類には必要だ!