雨にも負けす゛に実際のモデルがいた

斉藤 宗次郎さんという人が、宮沢 賢治の「雨ニモ負ケズ

のモデルだったことを最近知りました。ガテンがいきました。

それは、最後に「そういうものに私はなりたい。」とあつたからだ。

キリストは「汝の敵を愛せよ」と言っている。

もちろん、仏教でも人を殺すことはいけない

事とされている。ハムラビ法典だったか「目には目を」これが根拠で、

世界にいまだに戦争がはびこっているのか?

僕は、「雨ニモ負ケズ」を、目標に生きるすべを考えています。

しかし、修行のできていない自分は、どんどん、人を嫌いになって

行くのです。確かに、世の中に、パーフェクトな人間はいないのは

わかっているのですがあまりにもひどい。

基本的に、現在の人たちは、自分中心、いわゆる自己中というやつだ。

そうなったのは、この忙しい世界に生きる故なのか?

仕事だけでなく、いろんな遊びやゲーム、今までにない新しい

事が作り出される。流行(はやり)を作る。それが、もてはやされる

現代社会。資本主義経済社会では、限りなくいいことと評価される

ことでしょう。

しかし、仏陀がいた、2500年前の人間の悩み(苦)と現在の

人間の悩み(苦)は、実質的なものはあまり変わっていない

気がする。雨にも負けずの中の「欲はなく、いつも静かに笑っている」

せめてこれだけは今日やろうとしたが、また大きな声をだし、

笑ってはいなかった自分がいました。