やはり苦労は人を磨かない

今話題の、時津風親方もおそらく

現役時代は、厳しい稽古にも耐えて現在に至っている。

しかし、人格は、磨かれている様には思えない。

北の湖理事長も、相撲協会の信用を失墜させたことを理由に

時津風親方を解雇した。

でもそれは、おかしい。亡くなられた力士の

方に対しての責任が理由ではないからだ。どうも、

北の湖理事長も磨かれてはいないようだ。

作家の五木 寛之さんが、一時、作家活動を辞め

京都の龍谷大学にて3年ほど

仏教の勉強を、若い学生に混じってしていたらしい。

自分の生きる事への意識を変え、新たなものに挑戦している。

自分の変革(磨き)は自分自身がしなければいけない。

TARIKI(他力)と言う本を、その後、書いている。

やはり、自分自身の心を変え又磨くには、

ただ長い時間を苦労に

費やすだけでは、無意味だと考えられる。

釈迦は、妻を、子を、捨て出家した(チョツト昔風に言うと蒸発)。

間違いなく、現代社会で言えば

ダメ夫であり、ダメ父であつた。

なおかつ、苦しい修行を途中で投げ出している。

ダメ人間ですよね。

釈迦は、弦楽器の音色にたとえて、糸を張りすぎると

糸は切れる。又、緩すぎると音がしないこのことから

『中道』という考え方を、お説きになった。

苦行に苦行を重ねて、屍のような

体になって、煩悩を振り払ってもしょうがない

ことに、お気づきになったと、私は解釈している。

また、八正道とか言うと難しそうだか゛

実は、普通に生活しなさいと言っているだけなんだ。

もっとも、それを私自身に置き換えると

実際は出来ていないのが実状ですが。(やつぱりむずかしい!笑)

人はただ苦労しても、ダメだと思う、自分自身が、意識を

もつて生きなければいけない。ただ、普通は、自分が経験してきた事が

糧となり、自分がされていやな事は、相手にもしない様になる。

人の痛みが分かる様になり磨かれてゆく。おそらく、

まだ帰ってこない、あのモンゴルの横綱も、

残念ながら、磨かれていないのだろう。