空海の密教と顕教


実は、空海のいわゆる真言宗(密教)は嫌いでした。

なぜかと言うと神秘めいた力とかは、なんか、胡散臭い

密教の反対語が顕教で、努力により仏陀に近づく修行をする。

こっちの方が、いいかなみたいに思っていた。

しかし、空海は、修行するより先に仏陀になり、そのまま生きてしまえ

みたいな思想だとある本に書かれていた。

これって面白い考え方だなと思ったとき

空海に対する嫌悪感はなくなっていました。

仏教は、私にとっては哲学思想なのでたとえば、葬儀とかの慣習や

決めごとなどには一切興味がありません。単なるイベントです。

よくマナーとか言いますが、誰が勝手にきめたのだという話です。

江戸時代チョンマゲは常識でした。また、縄文時代には現代のマナー

などなかったし、それで不都合もなかった。

慣習やマナーには文化としての価値はあるのかも知れませんが
思想は僕には、感じられません。