(2013年6月19日 読売新聞)より、やはりこうなるか!国民共通番号制絶対反対

調査研究本部主任研究員 飯山 雅史

 まだ冷戦最中の1980年代、
 
アメリカの大学の日本語学科で日本語を教えている教授から、
 
彼のクラスで日本政治の講義をして欲しいと頼まれた。
 
 「講演はすべて日本語で。
 
永田町用語もどんどん使って早口で喋ってくれ」という。
 
学生との質疑応答はいいが「決して、
 
彼らのバックグラウンドは聞かないで欲しい」という、
 
奇妙な要望もついていた。あとで聞いてみたら、
 
学生は米国の情報機関「国家安全保障局NSA)」
 
から預かった日本語特訓コースの職員たちだったという。
 
当時のNSAの主要な仕事は、
 
外国の放送傍受や国際電話の盗聴だ。
 
図らずもアメリカのスパイ養成に一役買ってしまったのかもしれない。
 

膨大な電子メール、通信記録を手中に

そのNSAの諜報活動が大きな論議を呼んでいる。
 
ワシントンポスト紙などによると、NSA
 
グーグルやヤフー、フェイスブックなど大手サイトから
 
膨大な電子メールなどを取得、さらに、
 
大手電話会社から数百万人分の通信記録を提出させていたという。
 
 もちろん、人権団体は、個人のプライバシーを犯し
 
表現の自由や通信の秘密を侵害する憲法違反の活動だと激しく抗議し
 
、同盟関係にある欧州諸国政府も自国がアメリカの
 
諜報活動にさらされているのではないかと懸念を表明した。
 
だが、オバマ大統領はいつものように「諜報活動に関しては
 
ノーコメント」としらを切るのでなく、「100%の
 
安全と100%のプライバシーを確保」するのは不可能だと
 
、正面からNSAの活動を擁護した。
 
人権団体の批判は正論だし各国政府の懸念表明も当然だが、
 
オバマ大統領の反論も的を射ている。
 
諜報活動は国家の安全保障と外交政策には必須の手段だが
 
、個人のプライバシーを 蹂躙 ( じゅうりん ) する危険は強い。
 
しかも影の活動だから行き過ぎや情報の不正利用などの問題がつきまとう。

国益とプライバシーのせめぎ合い

冷戦後の諜報活動は、
 
テロの未然防止が主要な目標だ。誰が誰に電話をかけ
 
、電子メールを送ったのかが記された膨大な通信記録は、
 
テロリストのネットワークを浮かび上がらせるための珠玉の情報だ。
 
NSAのキース・アレキサンダー長官は上院歳出委員会で、
 
こうした諜報活動の結果、数十件のテロ計画が
 
未然に阻止されたと成果を強調した。一方で、
 
冷戦時に米ソの軍備管理条約が意味あるものになったのは、
 
両国が相手国の核ミサイル配備と撤去を、
 
自国のスパイ衛星で確認し検証できるようになったからでもある。
 
スパイ衛星はもはや秘密活動とは言えないが、
 
かつては重要な諜報活動だった。
 
だが、ウォーターゲート事件後に発足した
 
米上院チャーチ委員会が暴露したように、
 
権力者は諜報組織を自分の利益に使おうとする誘惑にかられやすい。
 
同委員会報告に基づいて諜報活動をチェックする
 
外国情報監視法が成立し、
 
NSAの活動は厳しいチェックを受けるようになったものの、
 
一般大衆の監視下に置くようなことは不可能だ。ここから、
 
監視する者とされる者のなれ合いも生まれてくる。
 
国益とプライバシーのせめぎ合いの中、
 
どのあたりで折り合いをつけるのかは大変に難しい。
 
今回のように諜報活動が暴露されるたびに、
 
どこまでが限界なのか議論を繰り返していくしかない。

驚くべき管理の甘さも

 もっとも、今回明らかになった最大の問題は、
 
個人のプライバシーが詰まった諜報機関の秘密データが
 
、政府の正式な職員でなく、
 
下請け契約会社の下級職員にさえアクセス可能だったということである。
 
最近の米軍は、民間の軍事会社に作戦の一部を発注することを知った時には、
 
非常に驚いたが、諜報機関が民間会社に
 
極秘データを分析させているというのは、
 
驚愕 (きょうがく)的な管理の甘さだ国益かプライバシーかの
 
哲学的な問題を論じる前に、まずこのあたりか
 
ら襟を正す必要があるのではないか。
(2013年6月19日 読売新聞)