人間は余裕がなければ、優しさを出せないのか。

生まれる時一人、最後もまた一人

だから生きている間だけは。ちいさなぬくもりやふとした

優しさが必要と松たか子さんの歌詞にあります。

ある人が言いました。

「人間はね余裕(お金)がなければ、優しさを出せない。」

はたして、余裕とは経済的なものだけなのか?

今の世の中、決して経済的に余裕のある人も、

いや、経済的に余裕のある人ほど優しくないような

気がします。おそらく、すでに、経済発展してきた

韓国の人達、また今伸びてきている中国の人達

も、経済的余裕に反比例して優しさを忘れていくのだろう。

しかし、すでに、日本にて「人間はね余裕がなければ、
 
優しさを出せない。」

が間違っている事が証明されている。

「人間は余裕があっても、残念ながら優しさを出せない。」

人間は、自ら、余裕があろうがあるまいが、

常に考えて優しさを持つことを、実践していかなければだめなのだ。

所詮、生まれる時一人、最後もまた一人なのだから。

勿論人は持って生まれてこれないし、あの世に持っていけない。
 
生涯無一物なのです。

しかし、現実の世界、一回所有したものを、
 
なかなか捨てられないのも

ひとの性(さが)なのだ。本当は無意味な事を知っているのだが。

あの世には、戦国武将の真田幸村の旗印である六文銭
 
その六文銭で三途の川が、渡ることができると言われている。

棺桶にお金を入れる風習は、そこからきているらしい。
 
いろんな財産を、あの世には持っていけません。

人間の優しさは、どこから生まれるのか。