南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏からの白い巨塔

コピー・ペーストしないで
 
自分の言葉で文章を書くのは
 
楽しくもあり、面倒くさい。
 
推敲しないで、徒然なるままに
 
書いているので、お許しください。
 
 
を調べると色々小難しい事が書かれています。
 
阿弥陀様を頼ってとか、
 
法華経の教えを頼ってとかです。
 
おそらく、この書き方に
 
異論のある方はいるでしょうが!
 
ザックリ行きます。  「行ってきます~。」
 
しかし、私の解釈では、最終的には
 
「仏に、私の煩悩を何とかして頂戴」みたいな感じ!
 
早い話、超他力本願的な感じ!
 
前に、浄土真宗では、般若心経は読まないと書いた。
 
般若心経は、人間に本来備わる
 
般若の智慧に気づき、その智慧を活用して
 
生きていけば、悩み(煩悩)から解放される。
 
超自力本願!
 
もともと、お釈迦様は、私の気づいた
 
事は難しいので、一般ピープルには
 
布教しないとまで言っていたところ、
 
梵天さんに、やっぱり布教してみろと言われた。
 
たとえば、お釈迦様は、女性には、おそらく
 
私の悟りは、わかりにくいと考えていたようだ。
 
色即是空、空即是色に代表される
 
言葉、具体的には
 
色とは現実世界を示すのだが
 
現実世界とはすなわち空(無)、しかし、空(無)とは
 
すなわち現実世界だ」などと言っても
 
女性脳にはわからない
 
と考えられていた。(女性蔑視ではありません)
 
お釈迦様は、
 
子供を産み育てる女性には
 
現実世界(色)のみが、その世界
 
全体であって、空(無)を理解
 
するDNAは少ないと
 
感じていたに過ぎない。
 
また、私が感じる仏教は、
 
縁起の考え方に始まっている
 
ので、論理的、演繹法的な
 
アプローチにより、構成され
 
人間は,五感を含む本来の
 
能力により、また色々取り込む
 
ことにより成熟し、
 
 
 
の何たるかを知り
 
涅槃寂静の境地に
 
至ることができる
 
と考えていたのでは
 
ないか?
 
ただ智慧(般若)にたどり
 
着く人は少ない。
 
極論でいえば、
 
明日死ぬことが
 
決定している人は
 
ある意味、悟りの境地(智慧)
 
に達している。
 
「金欲・名誉欲その他の欲」のすべてから
 
明日死ぬ人間は、解き放たれている
 
可能性が高いからだ。
 
なぜなら、そんな欲が何の意味
 
をなさないからだ。
 
再放送の「白い巨塔」の録画を見ていて
 
以前、観た時に増して、そう思えた。